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こんばんは。シーナです。
気付けば梅雨入りしてますね。この時期はろくなことが起こらないなーという印象だけははっきりとあって、とりあえず書き記しておくべきことだけ書き記しておこうかなと、久しぶりにアクセスした次第です。何から書いておこうかな。何も考えてなかったというか、ふと思い立っただけだから言いたいことがはっきりとあったわけじゃないんだよね……。 あのー。 僕は一応物書きの端くれなんで、文章で表現するのがメインなんすね。割となんでも、見たもの、聞いたもの、感じたこと、知ったこと、ひとまずイメージに落とし込んで、それから言葉に落とし込みます。これが上手くいった時、僕はそれについて何かしらを本当に理解したと言っていいと思うんです。本当に理解したって言うと、それに関する全ての情報を得たかのように思われるかもしれないけど、そうではなくて。あるものに関するある問いについて、自分で納得できる答えを明確な形で得た、ってなところがミソです。勿論、下敷きにしている論理体系はあるのだから、それにまで懐疑の目を向けろって言われたら困っちゃうんでしょうけど。 それでですよ。 こうして文章で表現をする際に、一番難しいものはなんでしょう。 例えば、味。これも結構難しいと思うんです。歯ごたえとか、温度とか、そういう表現は出来ても、それが実際どんな味であるか、ってところを描写するのはめっちゃ難しい。突き詰めてやろうとするとおそらく、ソムリエみたいに沢山の選択肢を持って、それらを組み合わせる、っていう形で表現していくことくらいしかできないんです。多分ね。 それと同様に、感覚全般の表現は難しい。感覚全般の表現はやはり明確な形を伴わないので、それに出来る限り近い言葉を選び取る作業が必要になる。ただ、言ってしまえばこれは当たり前なんです。物書きは多分みんな、自分の書きたいものに一番近い言葉を選び取る作業にすごい労力を割いてる。それこそが物を書くということだし、物を書くということの楽しさの核でもあるから。そう考えると、味に関してもそれほどくよくよすることはないのです。出来る範囲で頑張ればいい、ということになるので。じゃあ、一体何が最も難しいのか。 あくまで、個人的な意見ですけど。 「叫び」、じゃないっすかね。 叫びって、ただの大きな声ではないわけですよ。本来的には感覚の描写と同じことをやればいいはずなのだけど、誰かが叫ぶという場合、すなわち自分の感情をぶちまけるという場合には、多分事情が変わってくる。そこにあるのは「大きな爆発音」みたいなものとは全然別種の、生のままの感情の噴出なのであって、それはもう音として扱っちゃいけない。例えば、「叫んだ。」という描写方法があるけれど、ここには声はない。叫んでいる映像だけがある。或いは、「ああぁああああぁああああぁぁ」という描写方法も考えられるけど、今度は声しかない。それを組み合わせて使ってもいいけれど、今度はそこにタイムラグが生じてしまうから、その情景のインパクトがぶれてしまう。とかなんとか考えてると、激情が一気に溢れ出したその瞬間に口から吐き出される絶叫、っていうものを、その爆発的な勢いを殺さずにガッて表現するの、めちゃくちゃ難しくないすか。あまりにも難しいなって気持ちがありすぎて僕最近叫ぶ人の出てくる話書きませんもん。……いや。すいません。今のは言い訳です……精進します……。 うん。なんかひとつ書いたらそこそこの分量になりましたね。飽きたんで今回はもうこんなもんでいいです。またもやっとしたら来ることにしますわ。 以上、落書きでした。ではまた次回。 PR |
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