まぁタイトルから分かる通り、間奏と文章の融合しちゃったみたいなもんなんだけどね。
……なんて言うか、やる気ないわ。無気力。生きるの怖い。
いや別に死にたいだなんて思っているわけではないよ。死ぬの怖いし。
だけど…何だ、ええと、「喪失」が怖い。うん。そんな感じ。
生きてるの楽しいよ。友達はみんな優しいし、毎日色んなものが見えて、色んな事を感じて、大切だと思えるものがたくさんあってさ。
だけどいずれそれは失われてしまうわけで…うん。有限の中での幸せなわけですよ。
多分「それだけ幸せな人生なんだな」って思うでしょ。そりゃね。自分だってそう思いますよ。
でもその分「無くなっちゃう時にどう思うんだろう…?」って考えると不安で不安でしょうがない。絶対とんでもない悲しみだもん。悲しみというよりはショックというべきなのかもしれないけど。
だったら…だったらさ、いっそ大切なものなんて持たない方が良いんじゃない?とか。思うワケ。
でもそれじゃ今度は生きるのつまらない。すると…何つーの、どうやって人生に妥協しようかなって。有限であること、唐突な喪失を前提とした幸福に対して、どう妥協していこうかと。
それで自分思いました。
希望を持つから失望するんですよ。だったらその順序逆にしてやれ。って。
未来に絶望して絶望して絶望して絶望して、それから未来に踏み出せばそれが予想を下回るなんつーことはありえないわけで。そしたらさ、なんも痛くないじゃん。心配ないじゃん。
まぁ……だから人生大切に生きようだなんて思っちゃいないけど。だって未来の大前提は「その瞬間に自分の大切なもの全てが失われる」だから。自分に未来は無いわけっすよ。今のこの時楽しけりゃいいんすよ。
んでよ。「今のこの時」を最高に楽しくするにはどうしたらいいのかなーと。
それってよくよく考えたらさ、自分にどう出来るものじゃないじゃん。今という瞬間にどうしようって出来ないじゃん。今という瞬間に決められるのは次の瞬間だけ、言えばこの瞬間はその寸前の瞬間に、その瞬間は更にその寸前の瞬間に決定されてるわけで、遡れば生まれた瞬間に人生って全部決定してる。
そうなるとどんなに大切なものだってどんなに自分を愛してくれる人だって、結局は自分の意思で動いてるんじゃないんだなって。で行きつく先は、自我って何なの?って話。みんな生まれた瞬間に覚え込まされた台本通りに動いてるだけなんだぜ。心とか馬鹿馬鹿しくなってくるわ。
ほらな、急に無気力になったろ。…俺だけかも知れんけど。
何で唐突にこんなこと吐露したかっつーとね、思い立ったから。自己流理論で行けば今死ぬかも分からんからね。影響を及ぼしたいとまでは行かなくてもどこかに吐き出しておきたかった。潰れそうだった。というか、人間として何か大事なもの失くしそうな気がした。夜の暗闇に自分が溶けてしまいそうな気がした。
怖い。すげぇ怖い。ひと時でも良い、誰かと繋がっていないと気が済まない。生活の音で良い、メールでも良い、テレビだって良い、とにかく「人間」を傍に感じていたい。なのにみんな信じられなくなって、みんなリアリティを失って、自分ですら存在が曖昧になって、どうしていいか分からなくなる。
……こんなこと書いてるとまた知人から心配されそうだw
さて、何となく気は済んだからこんなもんでお開きにしよう。ではまた次回。
[0回]
PR